福泉寺(首大仏)

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福泉寺の首大仏

福泉寺の首大仏とは?

首大仏とは、千歳川のほとりにある福泉寺(ふくせんじ)にある、かつて名古屋城内にあり、戦後この福泉寺に奉納されたという陶製の釈迦像のことです。写真をご覧になって分かるとおり、とてもインパクトのある大仏で、威風堂々としています。ちなみに。この千歳川を挟んで神奈川県と静岡県に分かれますが、福泉寺は川を渡った反対側、静岡県に位置しています。余談ですが、静岡県側も神奈川県の湯河原町と同一の(0465)の市外局番を使っていますので、静岡県熱海市泉地区は静岡県唯一のNTT東日本管轄区域となっています。

さて、この首大仏ですが、エピソードを調べていくと、とても興味深い話があることがわかります。ここで簡単にご紹介します。

福泉寺「 300年以上前、名古屋藩主の徳川義直の行列が通った時、町人の娘が、家の前で行水中だった耳の遠い母親をたらいごと、家にひっぱりこんだ。義直は、娘の忠義な行動に感激し、この娘に御殿奉公を命じた。彼女は、義直の子供・光友をはらんだが、「自分は卑しい身分ゆえ、股間から産むことはおそれおおくてできません」と言い、断腹して、子供を出産、絶命した。この娘を供養するために大仏が作られたらしい。 」福泉寺看板記載内容(引用ARAKAWA様HPより引用)

と、何とも痛ましいというか、壮絶な内容ですが、簡単に調べてみるとおよその話が見えてきました。

福泉寺まず、尾張藩の初代藩主で、尾張徳川家の始祖である徳川義直は、正室からの子供に恵まれず、側室から子を授かりました。この側室が法号「歓喜院」と呼ばれる女性で、本名をお尉(じょう)のお方、あるいは乾(いぬい)のお方と呼ばれる女性です。このお尉のお方が住んでいたところは 、当時の大森村(だいしんむら)、今の愛知県名古屋市守山区でした。

言い伝えには諸説あるようですが、このお尉のお方が、とても立派な体格で、上記のような言い伝えが生まれたのは事実のようです。そして、お尉のお方は光友を1625年(寛永2年7月29日)生み、お尉のお方が江戸で亡くなったのは1634年(寛永11年2月12日)で、法号が 歓喜院となりました。.光友は亡くなった生母の恩を忘れず、1661年(寛文元年)に大森寺(だいしんじ)を建立しました。(愛知限定歴史レポ様HPより引用)

ということですから、出産時に絶命したというのはちょっと違うかもしれません。しかし、徳川光友が9歳という幼少期に亡くなったのは事実のようです。この光友は、徳川義直唯一の男子で、大変可愛がられて育ったようで、藩の財政難が起こるほどに寺院を建立したり整備をしたりしたようです。その中の一つが、母を奉った大森寺だったのです。

果たして、首大仏の真実やいかに…。

福泉寺(首大仏)へのアクセス

バスをご利用の方は、湯河原駅より奥湯河原・不動滝行きバスを利用し、泉入口バス停下車で徒歩5分です。お車の場合は、千歳川沿いの道を利用して、東海道新幹線の高架と湯河原方面のボーリング場のちょうど中間辺りにある橋を渡って行きます。数台分になりますが、駐車場も利用可能です。

首大仏(福泉寺)詳細情報

「ペンションはな」のオススメ度:★★
  • 利用時間:見学自由
  • 利用料金:無料
  • トイレ:無し
  • 駐車場:敷地内に駐車場有(無料)
  • お問い合わせ先:福泉寺 0465-62-2354

※掲載の情報は、記載時点での情報に基づいております。上記詳細情報は最新の情報ではございませんので、予めご了承下さい。もし変更事項等お気づきになりましたら、お問い合わせフォームよりご一報頂ければ幸いです。適時情報更新させていただきます。

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最終更新日: Fri, 2010-04-30 0:37 am ページのTOPに戻る Home | リンク | 全国宿仲間リンク | サイトマップ | プロフィール