真鶴町立中川一政美術館

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真鶴町立中川一政美術館

真鶴町立中川一政美術館とは?

真鶴町立中川一政美術館は、日本洋画壇の重鎮である中川一政氏の作品を数多く展示する1989年3月に開館した美術館です。建物としても1990年に「第15回吉田五十八賞」(建築設計)、1998年には「公共建築百選」(当時の建設省)を受賞する、優れた建築作品にもなっています。

中川一政氏は1893年(明治26年)、東京都文京区本郷に生まれました。21歳のとき最初に描いた作品「酒倉」が、大正から昭和初期にかけて活躍した近代日本を代表する洋画家「岸田劉生(きしだ りゅうせい)」氏に認められ、画家を志すようになったと言われています。岸田劉生氏の作品「麗子微笑(青果持テル) 」や「道路と土手と塀(切通しの写生)」は誰もが一度は目にしたことがあるであろう、傑作中の傑作です。これらは国の重要文化財にも指定されています。

中川一政氏の作品は油彩だけではなく、岩彩(日本画)書・篆刻・陶芸・装丁など多岐にわたり、屈託のない文章で知られる随筆、紀行文などの著書も多く、1961年(昭和36年)には皇居での歌会始(うたかいはじめ)の召人にも選ばれました。

岸田劉生氏が1917年に、友人武者小路実篤の住んでいた神奈川県藤沢町鵠沼の貸別荘に転地療養の目的で居住すると、中川一政氏をはじめ、岸田劉生氏を慕う多くの人間が鵠沼の地に足繁く通ったと言われています。中川一政氏が神奈川という地に親しみを感じるようになったのはこの時からなのかもしれません。

この鵠沼時代が、いわば岸田劉生の最盛期であったと言われていますが、その後の1929年12月20日、岸田劉生氏は尿毒症のために、38才という若さでこの世を去ります。中川一政氏36歳の時でした。

中川一政美術館岸田劉生氏の死から20年を経て、中川一政氏は1949年(昭和24年)真鶴町にアトリエを構え、ここを生涯の居として制作活動に専念するようになります。その後、1975年(昭和50年)82歳で文化勲章を受章し、日本を代表する芸術家としての地位をゆるぎないものとしました。

1986年、中川一政氏の母の故郷である石川県松任市(現白山市)に松任市立中川一政記念美術館(現 白山市立松任中川一政記念美術館)が開館し、その3年後の1989年(平成元年)3月2日には、長年の功績を称え、真鶴町立中川一政美術館の開館となります。1991年(平成3年)2月5日に死去。享年97歳11ヶ月という、大変な長命で、同年9月に中川一政氏は真鶴町名誉町民の第1号とりました。

なお、お林展望公園の管理棟2階には、 中川一政氏のアトリエが再現されており、無料で見学することができます。まずはこちらで、中川一政氏の芸術家の世界を体験してみるのも良いでしょう。

真鶴町立中川一政美術館へのアクセス方法

バスでお越しの方は、JR真鶴駅から箱根登山バス「三ツ石・ケープ真鶴行き」にて「中川一政美術館」下車。車の場合は真鶴半島をぐるっと一周する県道739号(真鶴半島公園線)を利用して、真鶴半島の先端付近の県道沿に位置しています。専用無料駐車場がありますので、そこを利用可能です。

真鶴町立中川一政美術館 詳細情報

「ペンションはな」のオススメ度:★★★
  • 利用時間:09:30-16:30(最終入場16:00)第1・3水曜定休
  • 利用料金:大人600円、高校生以下350円
  • トイレ:あり
  • 駐車場:専用無料駐車場有
  • お問い合わせ先:真鶴町立中川一政美術館
    ( TEL.0465-68-1128)

※掲載の情報は、記載時点での情報に基づいております。上記詳細情報は最新の情報ではございませんので、予めご了承下さい。もし変更事項等お気づきになりましたら、お問い合わせフォームよりご一報頂ければ幸いです。適時情報更新させていただきます。

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最終更新日: Fri, 2010-04-30 0:23 am ページのTOPに戻る Home | リンク | 全国宿仲間リンク | サイトマップ | プロフィール